相生社は、下鴨神社の末社で、古くから縁結びの神として知られています。境内には二本の木が一つに結びついた「連理の賢木(れんりのさかき)」があり、良縁を願う多くの人々が訪れます。
今宮神社は、大徳寺の北側に位置し、今宮社や紫野社とも呼ばれる疫病除けの神社です。平安時代初期に疫病を鎮めるため、疫神を祀ったのが起源とされています。「今宮」の名は、古くからこの地に鎮座していた「疫神社」に対して、新たに造られた神社を意味します。
片山御子神社は、通称「片岡社」とも呼ばれる上賀茂神社の第一摂社であり、上賀茂神社の境内、楼門近くに位置しています。源氏物語の作者、紫式部が参拝し、和歌を詠んだと伝えられるゆかりの地でもあります。
上賀茂神社は、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と呼ばれます。上賀茂神社を上社、下鴨神社を下社として、両社を総称して賀茂社と呼びます。平安遷都の際、桓武天皇が行幸して以来、王城鎮護の神として崇められています。
河合神社は糺の森の南端に位置する下鴨神社の摂社で、正式名称を鴨河合坐小社宅神社(かものかわあいにいますおこそやけのじんじゃ)といいます。名前は、賀茂川と高野川が合流する場所に祀られていることに由来しています。
金攫八幡宮は、「小北山八幡宮(おぎたやまはちまんぐう)」とも称され、また単に「八幡宮」とも呼ばれています。1685年(貞享2年)に石清水八幡宮から分霊して、この地に鎮座しました。かつてこの周辺はわずかな人家がある程度でしたが、現在では住宅街の一角にあり、地域の人々に親しまれています。
久我神社は上賀茂神社の第八摂社で、かつて大宮の森と呼ばれた地に建てられています。古くは氏神社(うじがみしゃ)や大宮と称されており、そのため神社の前を通る道は大宮通と呼ばれています。久我神社は航空安全の守護神として信仰されています。
幸神社は「こうじんじゃ」とも呼ばれ、古くから道祖神を祀る神社として信仰されています。道祖神は塞神(さえのかみ)とも称され、外から訪れる疫神や怨霊を守り防ぐ神とされてきました。この「さえ」の神が「さい」の神へと転じ、「幸」の字が当てられるようになったと伝えられています。
雑太社は、下鴨神社の末社で、かつては鴨社神舘御所(かもしゃかんたちごしょ)内の雑太(さわた)という地に、御所の鎮祭社として祀られていました。関西ラグビー発祥の地として知られ、近年では「ラグビー神社」として多くの注目を集めています。
下鴨神社は、正式名称を賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といいます。上賀茂神社を上社、下鴨神社を下社として、両社を総称して賀茂社と呼びます。京都で最も古い神社の一つであり、毎年5月15日に行われる葵祭は、京都の三大祭の一つとして有名です。
建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、地元で「けんくんじんじゃ」や「けんくんさん」として親しまれている神社で、船岡山の山頂にあります。織田信長とその息子・信忠が祀られており、歴史的な意義も深い場所です。
梨木神社は、萩の名所として知られ、「萩の宮」とも呼ばれています。維新の功労者である三条実万(さんじょう さねつむ)と三条実美(さんじょう さねとみ)の父子を祀る神社です。社名は、三条家の旧宅があった梨木町に由来しています。境内には、京都三名水の一つ「染井の水」が湧いており、この名水を使った茶会も催されています。また、上田秋成や湯川秀樹の歌碑も建立されています。
半木神社(なからぎじんじゃ)は、京都府立植物園の北西部にある半木(なからぎ)の森に位置する神社です。上賀茂神社の境外末社で、殖産興業や植物園の守護神として祀られています。
平野神社は桜の名所として名高く、境内には約60種・400本以上の桜が植えられ、「平野の夜桜」として親しまれています。古くから「梅の北野」に対して「桜の平野」と称されてきました。
由岐神社は、もともと御所内に祀られていましたが、940年(天慶3年)に鞍馬へ遷座されました。古くは鞍馬寺の鎮守社とされていました。