建勲神社
たけいさおじんじゃ
建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、地元で「けんくんじんじゃ」や「けんくんさん」として親しまれている神社で、船岡山の山頂にあります。織田信長とその息子・信忠が祀られており、歴史的な意義も深い場所です。
近年では、宗三左文字(義元左文字) という名刀を所蔵していることから、ゲーム「刀剣乱舞」の聖地として若者の間で人気が高まっています。
信長が本能寺で自刃した後、豊臣秀吉が大徳寺で7日間にわたる盛大な法要を行いました。その後、信長の霊を慰めるために船岡山に寺を建て、信長像を安置する計画が立てられ、「天正寺」の寺号も正親町天皇から賜りましたが、この計画は途中で頓挫。その後、明治時代になって現在の建勲神社が建立されました。
神社には、桶狭間の戦いで信長が実際に身に着けていた「紺糸威胴丸具足(こんいとおどしどうまるぐそく)」という甲冑や太刀「義元左文字(よしもとさもんじ)」、太田牛一の自筆本「信長公記」など、貴重な歴史資料が収められています。
正式名称 | 建勲神社(たけいさおじんじゃ) |
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主祭神 | 織田信長(おだ のぶなが) |
配祀神 | 織田信忠(おだ のぶただ) |
所在地 | 〒603-8227 京都府京都市北区紫野北舟岡町49 |
問い合わせ | 075-451-0170 |
拝観時期 | 一年中 |
参拝料金 | 無料 |
見学時間の目安 | 約20分 |
参拝順路 | 特になし |
アクセス | 京都市バス「建勲神社前」(1、12、204、205、206、北8、M1系統)下車すぐ |
駐車場 | なし |
駐車場料金 | - |
ご利益 | 大願成就、開運、難局突破 |
地図 | |
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建勲神社の見どころ
建勲神社の見どころは、まず珍しい甲冑を着たような狛犬です。一般的な狛犬とは異なり、戦国武将らしい力強さを感じさせるデザインが特徴です。また、船岡山は神社の位置する山で、京都市街地を一望できる絶景スポットです。特に春の桜や秋の紅葉シーズンには、自然の美しさを堪能できます。神社を参拝した後は、山をウォーキングして自然を楽しむのもおすすめです。
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大鳥居
おおとりい
幅5.5m高さ7.2mある木造の明神鳥居で、台湾の阿里山産の檜が使われています。簡素ながらも荘厳な雰囲気を感じさせる鳥居です。
東参道
ひがしさんどう
義輝稲荷社
よしてるいなりしゃ
末社です。宇迦御霊大神(うかのみたまのおおかみ)、国床立大神(くにとこたちのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の三柱が祀られています。もともとは、秦氏が穀物や織物の神として祀ったのが起源とされています。
命婦元宮
みょうぶもとみや
末社です。伏見稲荷大社命婦社の親神「船岡山の霊狐」が祀られています。伏見稲荷の元宮であり、秦氏の守護神として信仰され、今日の西陣織の祖神ともいわれています。
敦盛の碑
あつもりのひ
桶狭間の戦いに先立ち、織田信長が舞ったとされる「敦盛」の一節が刻まれた歌碑です。「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか」と刻まれています。
狛犬
こまいぬ
拝殿前には狛犬があり、甲冑を着たような独特な姿をしています。
拝殿
はいでん
内側には、織田信長三十六功臣のうち、猪子兵助、河尻秀隆、斎藤新五、菅谷長頼、滝川一益、福富秀勝、堀秀政、村井貞勝、毛利新助、森蘭丸、山内一豊、湯浅甚助の十二功臣の額が飾られています。
手水舎
ちょうずしゃ/ちょうずや
本殿
ほんでん
本殿の前に神門があり、その奥に主祭神である織田信長を祀る本殿が鎮座しています。
社務所
しゃむしょ
船岡妙見社
ふなおかみょうけんしゃ
末社として、船岡山の地の神である玄武大神(げんぶのおおかみ)を祀っています。この神は諸厄消除、万病平癒、家宅守護の神徳があるとされています。
建勲神社の歴史年表
1869年 (明治2年) | 明治天皇より信長の偉勲に対し、神社創立の宣旨が下る。 |
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1870年 (明治3年) | 出羽国天童藩3代藩主織田信敏(おだ のぶとし)の東京邸内と山形県天童城址に創祀。 |
1875年 (明治8年) | 船岡山に社地を与えられ遷座する。 |
1880年 (明治13年) | 信長の子、信忠を祀る。 |
1910年 (明治43年) | 本殿以下諸舎を山麓から現在の山上に移した。 |
建勲神社の年間行事
6月30日:夏越大祓式
7月1日:例祭
10月19日:船岡祭
参考
建勲神社公式ウェブサイト、京都大辞典、京都の寺社505を歩く(下)