今宮神社は、大徳寺の北側に位置し、今宮社や紫野社とも呼ばれる疫病除けの神社です。平安時代初期に疫病を鎮めるため、疫神を祀ったのが起源とされています。「今宮」の名は、古くからこの地に鎮座していた「疫神社」に対して、新たに造られた神社を意味します。
「かざりや」は、今宮神社東門前の参道に面する2軒の茶店のうち南側のお店で、今宮神社の名物「あぶり餅」を提供しています。
上賀茂神社は、正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と呼ばれます。上賀茂神社を上社、下鴨神社を下社として、両社を総称して賀茂社と呼びます。平安遷都の際、桓武天皇が行幸して以来、王城鎮護の神として崇められています。毎年5月15日に行われる葵祭は、京都の三大祭の一つとして有名です。1994年(平成6年)には、世界文化遺産に登録されました。
金閣寺は、正式には鹿苑寺(ろくおんじ)という寺院で、相国寺の塔頭寺院です。北山文化の象徴的存在であり、室町幕府第三代将軍足利義満が営んだ山荘・北山殿を禅寺に改めたものです。
金攫八幡宮は、「小北山八幡宮(おぎたやまはちまんぐう)」とも称され、また単に「八幡宮」とも呼ばれています。1685年(貞享2年)に石清水八幡宮から分霊して、この地に鎮座しました。かつてこの周辺はわずかな人家がある程度でしたが、現在では住宅街の一角にあり、地域の人々に親しまれています。
興臨院は、大徳寺の境内にある塔頭で、能登の戦国大名・畠山義総(はたけやま よしふさ)によって創建されました。寺名は、義総の法名「興臨院殿伝翁徳胤大居士」に由来しています。後に焼失しましたが、前田利家によって再建され、以降、前田家の菩提寺となりました。
神馬堂は1872年(明治5年)に創業した老舗で、上賀茂神社の名物菓子「やきもち」で知られています。やきもちは、小豆の餡を餅で包み、鉄板で両面をこんがりと焼き上げた丸餅です。正式名称は「葵餅」といい、これは上賀茂神社の神紋にちなんだもの。
総見院は、大徳寺の本坊の西方に位置する塔頭寺院で、豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために建立しました。寺院名は、信長の法名に由来しています。
大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で、茶道との深いつながりから「大徳寺の茶面」と称されています。特に一休さんとして親しまれる一休宗純ゆかりの寺院として知られています。
建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、地元で「けんくんじんじゃ」や「けんくんさん」として親しまれている神社で、船岡山の山頂にあります。織田信長とその息子・信忠が祀られており、歴史的な意義も深い場所です。
かつて鞍馬口通り沿いを流れていた「逆さ川」にちなんで、「逆さ川地蔵」として知られていました。伝説によれば、近くに住んでいた夫婦のある出来事がきっかけで、妻が誤って逆さ川地蔵の肩に噛みつき、その歯形が地蔵の肩に残ってしまったといいます。その後、この地蔵は「歯形地蔵」と呼ばれるようになりました。
平野神社は桜の名所として名高く、境内には約60種・400本以上の桜が植えられ、「平野の夜桜」として親しまれています。古くから「梅の北野」に対して「桜の平野」と称されてきました。
芳春院は、大徳寺本坊の北に位置する塔頭寺院で、加賀藩前田利家の夫人、松子が開山玉室宗珀(ぎょくしつ そうはく)を迎えて建立した前田家の菩提寺です。