かつて鞍馬口通り沿いを流れていた「逆さ川」にちなんで、「逆さ川地蔵」として知られていました。伝説によれば、近くに住んでいた夫婦のある出来事がきっかけで、妻が誤って逆さ川地蔵の肩に噛みつき、その歯形が地蔵の肩に残ってしまったといいます。その後、この地蔵は「歯形地蔵」と呼ばれるようになりました。
かつてこの地には、一条天皇の皇后であった藤原定子(ふじわらのさだこ/ていし)の里邸(りてい)である二条宮(二条北宮)がありました。二条宮は992年(正暦3年)に完成しましたが、996年(長徳2年)に火災で焼失しています。石碑は令和6年8月に公益財団法人の古代学協会によって建立されました。