藤原定子二条宮跡
ふじわらのさだこにじょうのみやあと
かつてこの地には、一条天皇の皇后であった藤原定子(ふじわらのさだこ/ていし)の里邸(りてい)である二条宮(二条北宮)がありました。二条宮は992年(正暦3年)に完成しましたが、996年(長徳2年)に火災で焼失しています。石碑は令和6年8月に公益財団法人の古代学協会によって建立されました。
藤原定子は、藤原道隆(ふじわらのみちたか)の長女で、母は高階貴子(たかしなのきし/たかこ)です。15歳で入内し、後に一条天皇の皇后となりました。一条天皇との間に、第一皇子である敦康親王(あつやすしんのう)を産んでいます。文学や教養にも優れ、清少納言が仕えたことでも広く知られています。
正式名称 | 藤原定子二条宮跡 |
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所在地 | 〒604-0021 京都府京都市中京区蛸薬師町271-1 |
アクセス | 京都市バス「烏丸二条」下車(51・65系統)徒歩3分 市営地下鉄「丸太町駅」徒歩5分 |
地図 | |
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藤原定子二条宮跡の見どころ
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藤原定子二条宮跡石碑
ふじわらのさだこにじょうのみやあとせきひ
「従是西南 一条天皇皇后 藤原定子二条宮跡」と刻まれています。また、側面には「令和六年八月吉日 公益財団法人 古代学協会 建立」と刻まれています。
説明版
せつめいばん
一条天皇の中宮(のち皇后)であった藤原定子(貞元2年[977]~長保2年[1000])は藤原道隆(関白内大臣)の長女として生まれた。道隆は平安京左京三条三坊八町、つまり二条の地を取得し、これを南北に二分割してその南家を嫡男の伊周(これちか)の邸(二条邸)、北家(二条宮)を定子の里邸(りてい[私的な邸宅])に充てた。なお、その北側の左京二条三坊五町には道隆の弟の道兼(関白右大臣)の二条町尻第が存在した。二条宮は正暦3年(992)に完成して定子が遷御している。この御所のありさまは、彼女に仕えた清少納言の「枕草子」にも描かれている。
藤原定子二条宮跡の周辺情報
京都国際マンガミュージアムまで徒歩4分
京都御苑まで徒歩11分
一保堂茶舗まで徒歩11分
京都文化博物館まで徒歩13分
六角堂まで徒歩13分
二条城まで徒歩16分
神泉苑まで徒歩17分
本能寺まで徒歩17分
参考
説明版