幸神社
さいのかみのやしろ
幸神社は「こうじんじゃ」とも呼ばれ、古くから道祖神を祀る神社として信仰されています。道祖神は塞神(さえのかみ)とも称され、外から訪れる疫神や怨霊を守り防ぐ神とされてきました。この「さえ」の神が「さい」の神へと転じ、「幸」の字が当てられるようになったと伝えられています。
社伝によれば、歌舞伎踊で知られる出雲のお国がこの辺りで生まれ、一時期幸神社の稚児や巫女を務めていたとも伝えられています。
かつては「出雲路幸神」や「出雲路道祖神社(いずもじさいのかみやしろ)」と称し、賀茂川畔(上京区青龍町)にあったと伝わります。現在の場所には応仁・文明の頃(1467~1487年)に移されたと推定されています。御所の北東に位置し、鬼門の守護神とされています。
逸話
平安時代の歌人である藤原実方(ふじわら の さねかた)は、馬に乗って道祖神社の前を通り過ぎた際、社を軽んじて下馬しなかったために神の怒りを買い、馬が倒れて実方も命を落としました。その後、実方は社のそばに埋葬されましたが、彼の霊は都への強い執着から雀の姿に変わり、禁中の台盤所(皇居の台所)に現れて水を飲み、餌をもらっていたと伝えられています。この雀は「入内雀」と呼ばれたそうです。
正式名称 | 幸神社(さいのかみのやしろ) |
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主祭神 | 猿田彦神(さるたひこしん) |
相殿神 | 天之御中主神、可美葦芽彦舅神、小彦名神、天照大神、瓊瓊杵尊、大国主命、事代主命、天鈿女命 |
所在地 | 〒602-0814 京都府京都市上京区寺町通今出川上ル西入ル幸神町303 |
問い合わせ | 075-231-8774 |
拝観時期 | 一年中 |
参拝料金 | 無料 |
見学時間の目安 | 約5分 |
参拝順路 | 特になし |
アクセス | 京都市バス「葵橋西詰」下車(1・37・205・203系統)徒歩約5分、京都市バス「同志社前」下車(59・102・201・203系統)徒歩約7分 |
駐車場 | なし |
駐車場料金 | - |
ご利益 | 鬼門除け、縁結び、芸能上達、旅行安全 |
地図 | |
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幸神社の見どころ
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鳥居
といり
鳥居です。
拝殿
はいでん
拝殿には絵馬が掛けられており、通常はこちらから参拝します。奥には本殿があります。
猿の木像
さるのもくぞう
本殿東側には、日吉山王の神使である猿の木像が祀られており、御幣を肩に担いでいます。
絵馬
えま
絵馬にも、御幣を肩に担いだ猿が描かれています。
末社
まっしゃ
左から順に、天満宮、竈神社、稲荷社、厳島社、春日社、淡島社が祀られています。
猿田彦神石(石神さん)
さるたひこじんせき(いしがみさん)
この石は男性器に似た形をしており、珍しいとされています。古くから猿田彦は生殖の神とされてきました。
疫神社
えきじんじゃ
幸神社の歴史年表
796年 (延暦15年) | 創建された。 |
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939年 (天慶2年) | 939年(天慶2年)に創建されたともいう。 |
1246年 (寛元4年) | 後嵯峨天皇が下鴨神社参詣の際、幸神社の前を通る。 |
1708年 (宝永5年) | 火災によって類焼する。 |
1788年 (天明8年) | 火災によって類焼する。 |
明治維新 | 社僧が廃され、社掌のみとなる。 |
参考
京都・山城 寺院神社大辞典、昭和京都名所圖會 5 洛中、京都大辞典、幸神社駒札(立札)