護王神社
ごおうじんじゃ

護王神社は、もともと「護法善神(ごほうぜんじん)」と称され、神護寺の境内に祀られていました。その後、明治天皇の勅命により、御所の守護神として1886年(明治19年)に現在の地へと遷座されました。
祭神である和気清麻呂(わけ の きよまろ)が大隅国(現在の鹿児島県)へ流罪となった際、道中で猪の群れが現れ、その身を守ったとされています。この逸話にちなみ、境内には多くの猪にまつわる像や装飾があり、「いのしし神社」の愛称で親しまれています。特に、足腰の健康を守る神社として広く信仰を集めています。
また、清麻呂の姉である和気広虫(わけ の ひろむし)は、慈悲深い女性として知られ、孤児83名を引き取り養育したと伝えられています。そのことから「子育て明神」と称えられ、育児や子どもの健やかな成長を願う人々の信仰を集めています。
基本情報 | |
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正式名称 | 護王神社 |
主祭神 | 和気清麻呂(わけ の きよまろ)、和気広虫(わけ の ひろむし) |
配祀 | 藤原百川(ふじわら の ももかわ)、路豊永(みち の とよなが) |
所在地 | 〒602-8011 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴圓町385 |
問い合わせ | 075-441-5458 |
開閉門時間 | 6:00~21:00 |
拝観時期 | 一年中 |
参拝料金 | 無料 |
見学時間の目安 | 30分 |
参拝順路 | 特になし |
アクセス | 京都市バス「烏丸下長者町」(51系統)下車すぐ 京都市営地下鉄 烏丸線「丸太町」下車 徒歩7分 |
駐車場 | あり(境内北側7台、境内南側5台)※祭典行事により駐車できない場合があります。 |
駐車場料金 | 無料 |
ご利益 | 足腰守護、亥年の守護 |
地図 | |
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護王神社の見どころ
護王神社の見どころは、境内の至るところにある猪の像や、猪にまつわるアイテムです。狛犬の代わりに置かれた狛いのししや、手水舎にある幸運の霊猪、さらに社務所前には「いのししコレクション」という棚があり、全国から集められた猪に関する品々が展示されています。どれもユニークで、見ていて楽しいですよ!
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狛いのしし
こまいのしし
鳥居の前や拝殿の前には、狛犬の代わりに猪の像が安置されています。

鳥居
とりい
鳥居は、烏丸通に面し、東向きに建てられています。

表門
おもてもん
鳥居をくぐった先にある門です。上には「足腰大御守」の額が掲げられています。

手水舎
てみずや
「幸運の霊猪(こううんのれいちょ)」と呼ばれ、鼻を撫でると幸運が訪れると伝えられています。

拝殿
はいでん
1890年(明治23年)に造営されたもので、「京都画壇の父」と称される竹内栖鳳(たけうち せいほう)の絵をもとに象られた一対の狛猪が安置されています。

祈願殿
きがんでん
本殿を遥拝(ようはい)し、祈祷を行う場所です。内部には、清麻呂と広虫の像が安置されています。

中門
なかもん
中門をくぐると、先に本殿があります。

本殿
ほんでん
祭神として、和気清麻呂と和気広虫が祀られています。

願かけ猪と座立亥串
がんかけいのししとくらたていぐし
願かけ猪の周りに亥串を刺して願い事を祈願します。亥串は2本1組で、1本をここに刺し、もう1本を自宅に祀って願掛けを行います。

足萎難儀回復の碑
あしなえなんぎかいふくのひ
招魂樹(おがたまのき)のそばにあり、足腰の病気やけがの回復を願って、足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。

飛翔親子猪
ひしょうおやこいのしし
チェーンソーアートの世界チャンピオン、城所ケンジ氏が「生命のよみがえり」をテーマに、樹齢300年の桂の根株に翼の生えた神猪が子猪を守る姿を刻んだ作品です。

和気清麻呂公銅像
わけのきおまろこうどうぞう
1998年(平成10年)、和気清麻呂の千二百年祭を記念して建立されました。

カリンの木
かりんのき
胸高幹周1.57メートル、樹高14メートル(1998年(平成10年)6月11日調査)で、樹齢100年を超えるカリンの木です。1974年(昭和49年)には京都市の「名木百選」に選ばれました。喘息封じの御神木として知られ、このカリンの実で作ったカリン酒は喘息に効くといわれています。

吉井勇歌碑
よしいいさむかひ
吉井勇の歌集「残夢」には、榠櫨(カリン)を題材にした歌が3首収められています。そのうちの1首が歌碑に刻まれています。「風なきに 榠櫨の實また ほろと落つ かくて極まる 庭のしづけさ」

針乃碑
はりのひ
毎年2月8日には、この碑の前で針供養が行われます。碑の裏側には榊の木があります。

久邇宮家御霊殿
くにのみやけごれいでん
末社で、1964年(昭和39年)に旧久邇宮邸内から鎮座しました。

祖霊社(近衛社)
それいしゃ(このえしゃ)
護王神社歴代宮司、神職、役員総代をはじめ、弘文院など護王神社の発展に尽力した人々の分霊を合祀した社殿です。
護王神社の歴史年表
- | 創建時期は不明だが、平安時代末期から鎌倉時代初期の創建と伝わる。文覚(もんがく)が神護寺を復興する際、和気清麻呂を護法善神として祀り、鎮守社とした。 |
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1851年 (嘉永4年) | 孝明天皇が正一位護王大明神の神階神号を授ける。 |
1874年 (明治7年) | 社名を護王神社に改める。 |
1886年 (明治19年) | 11月3日、明治天皇の勅命により、現在地に遷る。 |
1890年 (明治23年) | 拝殿が造営される。 |
1915年 (大正4年) | 清麻呂の姉・和気広虫も主祭神として合祀される。 |
護王神社の年間行事
1月1日:歳旦祭(さいたんさい)
2月節分:節分祭
2月8日:針供養祭
4月4日:例祭(護王大祭)
隔年4月第1日曜日:神幸祭
5月4日:和気公霊廟祭
6月30日:夏越大祓式
11月1日:亥子祭(いのこさい)
11月3日:御遷座記念祭(ごせんざきねんさい)
11月23日:新嘗祭(にいなめさい)
毎月21日:足腰祭(あしこしさい)
護王神社ゆかりの人物
・和気清麻呂(わけ の きよまろ) [733年-799年]
和気清麻呂は平安時代の貴族で、宇佐八幡宮信託事件に関与し、大隅国に左遷されました。この事件では、「弓削道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という信託の確認を清麻呂が宇佐八幡宮で行いましたが、その内容は道鏡を喜ばせるものではなく、清麻呂は道鏡に対抗する立場を取ったため左遷されました。しかし、道鏡の失脚後、清麻呂は中央政権に復帰し、再び政治的な影響力を取り戻しました。戦前には和気清麻呂の肖像が十円紙幣に印刷され、その功績は後世に伝えられています。
参考
護王神社公式ウェブサイト、京都大辞典、週刊 日本の神社 第85号、週刊 京都を歩く 第44号
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[1] 匿名さん さん 投稿日: 2025-03-29 18:50:35
昔は、境内に喫茶のようなものがあったと思うんですけど、なくなっちゃいました。残念。
跡地は休憩所みたいなものになってます。