京都の観光旅行ガイド
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建仁寺

けんにんじ

建仁寺は、1202年(建仁2年)に鎌倉幕府二代将軍源頼家によって寺域を寄進され、栄西が開山しました。その時の元号である「建仁」からその名がつけられました。室町幕府三代将軍足利義満の下で制定された京都五山の制度では、第三位の位置づけとなりました。

建仁寺は優れた漢詩や漢文の秀でた僧を多く輩出したことから建仁寺の学問面と呼ばれました。また、寺宝としては、俵屋宗達の「風神雷神図」や海北友松の障壁画「雲龍図襖」などが所蔵されています。

正式名称東山 建仁禅寺(けんにんぜんじ)
山号東山(とうざん)
宗派臨済宗建仁寺派
本尊釈迦如来
所在地〒605-0811 京都府京都市東山区大和大路通四条下る小松町584
問い合わせ075-561-0190
参拝時間10:00~17:00(16:30受付終了)
拝観時期一年中
参拝料金一般 800円
学生(小・中・高) 500円※小学生未満 無料
見学時間の目安45分
参拝順路特に決められていません
アクセス京都市バス「東山安井」、「南座前」、「祇園」、「清水道」下車(100・206系統)
京阪電車「祇園四条駅」下車
駐車場北門の近く
駐車場料金平日:8:00~20:00 20分/300円 20:00~8:00 30分/300円
休日:8:00~20:00 15分/300円 20:00~8:00 30分/300円
ご利益-
地図

建仁寺の見どころ

建仁寺の見どころは、方丈です。方丈内部では、俵屋宗達の代表作「風神雷神図」の複製や、海北友松による「琴棋書画図襖」や「雲龍図襖」などを鑑賞することができます。また、大雄苑や○△□乃庭、潮音庭といった庭園も見逃せません。さらに、法堂の天井に描かれた迫力満点の双龍図も必見です。人込みを避けるためには早めの時間に訪れることがおすすめです。

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勅使門
ちょくしもん

扉などに戦乱時の矢の痕跡が残っていることから「矢の根門」または「矢立門(やたちもん)」と呼ばれます。この門は鎌倉時代後期に建てられ、現在は重要文化財に指定されています。

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三門
さんもん

御所を望む楼閣という意味で「望闕楼(ぼうけつろう)」と名付けられました。楼上に釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られています。1923年(大正12年)に、静岡県浜名郡雄踏町山崎の安寧寺から移築されました。

法堂
はっとう

本尊として釈迦如来座像が祀られており、脇侍として迦葉像と阿難像が安置されています。また、天井には小泉淳作による双龍図が描かれています。この建物は禅宗様の仏殿建築様式であり、その特徴が見受けられます。1765年(明和2年)に建立されました。

双龍図
そうりゅうず

法堂の天井には、約2年をかけて制作された小泉淳作氏による畳108畳の水墨画があります。2匹の阿吽の龍が描かれ、互いに向かい合っています。その迫力ある姿は見る者を圧倒します。

本坊
ほんぼう

風神雷神図
ふうじんらいじんず

俵屋宗達(たわらやそうたつ)の代表作である「風神雷神図」は国宝として知られています。この作品は前面に金箔が貼られ、右隻に風神、左隻に雷神が描かれています。中心には大きな余白があり、特徴的な構図を作り出しています。実物は京都国立博物館に寄託されており、建仁寺ではその複製を鑑賞することができます。

方丈
ほうじょう

本尊として安置されているのは、東福門院が寄進した十一面観音菩薩像です。この像は1599年(慶長4年)に安芸の安国寺から移築されました。

○△□乃庭
まるさんかくしかくのにわ

仙厓義梵(せんがい ぎぼん)の禅画「〇△□(まるさんかくしかく)」から着想を得て、北山安夫氏が作庭した庭園です。□は井筒、〇は1本のヤブツバキの根元に広がる苔、△は白川砂で表現されています。

潮音庭
ちょうおんてい

大書院と小書院の間に位置する、約170平方メートルの枯山水の坪庭です。中央に配置された三尊石は、四方どこから見ても正面に見えるよう工夫されています。作庭は北山安夫氏によるものです。

大雄苑
だいおうえん

方丈前に広がる枯山水庭園は、創建時の詳細は分かっていませんが、現在の庭園は昭和初期頃に加藤熊吉によって作庭されました。この庭園は百丈山の景色を模して造られており、独特の風景美を醸し出しています。

雲龍図襖
うんりゅうずふすま

海北友松(かいほうゆうしょう)による襖絵は、元々方丈の東南にある礼の間の襖に描かれていました。これは安土桃山時代の作品であり、重要文化財として保護されています。

東陽坊
とうようぼう

北野大茶会では、茶道の大家である利休の高弟である真如堂東陽坊長盛が副席を担当したと伝えられています。

安国寺恵瓊首塚
あんこくじえけいくびづか

安国寺恵瓊は、戦国時代に安芸安国寺の住持でありながら、毛利家の政治や外交に関わった異色の僧です。後に豊臣秀吉に大名として取り立てられました。秀吉の没後、関ケ原の戦いでは西軍として参戦しましたが、敗北し、六条河原で斬首されました。その後、建仁寺の僧が彼の首を持ち帰り、この地に葬りました。

清凉軒
せいりょうけん

1940年(昭和15年)建立されました。写経体験はここで行われています。写経体験は、仏教の修行の一環であり、経典の文字を写し取ることによって心を集中させ、精神的な成長や悟りの境地を目指すものです。

開山堂
かいざんどう

開山である栄西の塔所です。堂内の中央には入定塔と呼ばれる石塔があります。庭園には、栄西が宋から持ち帰ったといわれる菩提樹が植えられています。

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浴室
よくしつ

鐘楼
しょうろう

通称「陀羅尼の鐘(だらにのかね)」として知られています。この鐘は、修行僧が寝床に入る午後10時の亥の刻に、観音慈求陀羅尼(かんのんじきゅうだらに)を一万遍唱えながらつくことから、その名前がつけられました。元々は源融(みなもとのとおる)の河原院のものとされています。

茶碑
ちゃひ

1983年(昭和58年)に祇園辻利によって寄進され、建立されました。

西来院
せいらいいん

建仁寺境内の北東に位置する塔頭寺院です。建仁寺11世の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が住したことから通称「蘭渓道隆の寺」とも呼ばれました。

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両足院
りょうそくいん

建仁寺境内の東に位置する塔頭寺院で、西来院と開山堂の間にあります。通称「半夏生の庭園」と呼ばれる池泉回遊式庭園が南北に広がっており、初夏に半夏生が花を咲かせる時期には特別拝観が行われます。

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霊源院
れいげんいん

建仁寺の境内の南東に位置する塔頭寺院で、通常非公開です。通称「甘茶の寺」として知られており、毎年、甘茶の花が咲く5月中旬頃に特別公開されています。

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禅居庵
ぜんきょあん

建仁寺の境内の南西に位置する塔頭寺院です。境内にある摩利支天堂は、開運や七難除けなどの信仰を集めています。摩利支天の使いが猪であることから、境内には狛猪が置かれ、猪を象った絵馬やお守りもあります。

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久昌院
きゅうしょういん

建仁寺の境内の南西に位置する塔頭寺院で、禅居庵の北にあります。通常非公開です。1608年(慶長13年)に徳川家康の家臣、奥平信昌(おくだいら のぶまさ)、その息子の松平忠明(まつだいら ただあきら)が創建しました。

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建仁寺の歴史年表

1202年
(建仁2年)
鎌倉幕府二代将軍源頼家が寺域を寄進し、宋国百丈山を模して創建される。開山は栄西。当初は真言、天台、禅の三宗兼学とした。
1205年
(元久2年)
官寺となる。
1246年
(寛元4年)
堂宇が焼失する。蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が来日する。
1258年
(正嘉2年)
円爾弁円(えんにべんえん)諸堂を復興する。
1259年
(正元元年)
蘭渓道隆が入寺し、禅寺となる。
1305年
(嘉元3年)
方丈が再建される。
1342年
(康永元年、興国3年)
京都五山の第四位となる。
1386年
(至徳3年)
京都五山の第三位となる。
1469年
(文明元年)
応仁・文明の乱の兵火により焼失。
1552年
(天文21年)
三好長慶・細川晴元の戦により伽藍が全焼する。
1599年
(慶長4年)
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が、安芸(現在の広島県)の安国寺の方丈、仏殿を移築。
1664年
(寛文4年)
2月、開山堂が修理される。新彫の栄西像の開眼供養が執行される。
1872年
(明治5年)
臨済宗建仁寺派としての分派独立し、その大本山となる。
1877年
(明治10年)
妙心寺塔頭玉龍院から開山堂客殿を移築する。
1884年
(明治17年)
開山堂が完成する。
1897年
(明治30年)
寺内に仏教中学校を創設。
1923年
(大正12年)
遠江安寧寺の三門を譲り受け、望閣楼を再興する。
1954年
(昭和29年)
四頭茶会がはじまる。
2002年
(平成14年)
小泉淳作筆双龍図の開眼法要が営まれる。
2006年
(平成18年)
「潮音庭」、「○△□乃庭」が完成する。
2024年
(令和6年)
境内の塔頭寺院「西来院」に期間限定ブルーボトル コーヒートラックが出店。
2024年
(令和6年)
夜間特別拝観「ZEN NIGHT WALK KYOTO」を8/2~9/22に開催。

建仁寺の年間行事

1月1日:改旦祝聖(かいたんしゅくしん) - 法堂

1月2日:修正懺法(しゅしょうせんぽう) - 法堂

1月3日:修正満散(しゅしょうまんさん) - 法堂

2月1日:雪安居解制(せつあんごかいせい) - 僧堂

2月17日:百丈忌(ひゃくじょうき) - 法堂

3月15日:涅槃会(ねはんえ) - 法堂

4月1日:聯燈忌(れんとうき) - 法堂

4月8日:仏降誕会(ぶっこうたんえ) - 法堂

4月20日:四頭茶会(よつがしらちゃかい) - 方丈

6月5日:開山忌・献茶式 - 法堂・開山堂

7月15日:山門施餓鬼(さんもんせがき) - 法堂

7月30日:布薩会(ふさつえ) - 方丈

8月9~10日:六道まいり - 六道珍皇寺

8月18日:頼家忌 - 開山堂

8月24日:大覚忌(だいかくき) - 法堂

11月1日:瑶甫忌(ようほき) - 安国寺恵瓊首塚・法堂

11月1日:雪安居入制 - 僧堂

11月5日:達磨忌 - 法堂

11月13日:楽神廟神事(らくしんびょうしんじ) - 楽大明神

11月13日:有楽忌(うらくき) - 正伝永源院

11月15日:先住忌(せんじゅうき)・祠堂法要 - 法堂

12月1~8日:臘八大接心(ろうはつおおせっしん) - 僧堂

12月8日:成道会(じょうどうえ) - 法堂

12月21日:冬夜 - 方丈

12月22日:冬至祝聖 - 法堂

12月31日:除夜 - 鐘楼

建仁寺ゆかりの人物

・栄西(えいさい/ようさい) [1141年-1215年]
臨済宗の開祖であり、日本にお茶を伝えた人物。宋で禅を学んだ後、帰国して建仁寺などを開き、禅宗の布教に尽力した。また、仏教書「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」や茶の効用を説いた「喫茶養生記(きっさようじょうき)」などの著作でも知られている。


・源頼家(みなもとのよりいえ) [1182年-1204年]
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の長男であり、第二代将軍。将軍としての在任期間は約1年と短かった。頼家の治世では、有力御家人たちによる「十三人の合議制」が敷かれ、将軍の権力が制限された。さらに、1203年に比企能員(ひきよしかず)の乱が発生し、頼家の支持基盤であった比企氏が滅ぼされると、頼家自身も伊豆の修禅寺に幽閉された。その後、北条時政の命令で暗殺された。

建仁寺の周辺情報

京都ゑびす神社(きょうとえびすじんじゃ)まで徒歩1分

六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)まで徒歩3分

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)まで徒歩3分

高台寺(こうだいじ)まで徒歩8分

八坂神社(やさかじんじゃ)まで徒歩10分

知恩院(ちおんいん)まで徒歩12分

清水寺(きよみずでら)まで徒歩15分

青蓮院(しょうれんいん)まで徒歩18分

参考

建仁寺公式ウェブサイト、古寺巡礼 京都23 建仁寺、週刊 古寺を巡る44 建仁寺