京都の観光旅行ガイド
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清水寺

きよみずでら

清水寺

清水寺は北法相宗の大本山です。舞台造り(懸崖造り)の本堂は「清水の舞台」として広く知られ、通年を通じて多くの観光客が訪れます。さらに、音羽の滝から流れる三筋の水も有名です。

1994年(平成6年)には世界文化遺産に登録されました。また、清水寺は西国三十三所観音霊場の第十六番札所としても知られています。

778年(宝亀9年)、賢心(けんしん、後に延鎮と改名)が夢告を受け、音羽山で出会った行叡(ぎょうえい)から授かった霊木を用いて観音像を彫り、それを祀ったのが始まりとされています。

正式名称音羽山 清水寺
山号音羽山(おとわさん)
宗派北法相宗
本尊千手観音菩薩
所在地〒605-0862 京都市東山区清水1丁目294
問い合わせ075-551-1234
参拝時間午前6:00~午後6:00(7、8月は18:30閉門、春、夏、秋の夜間特別拝観期間中は21:00受付終了)
拝観時期一年中
参拝料金一般 500円
小・中学生 200円
見学時間の目安60分
参拝順路基本的には一方通行
アクセス京都市バス「五条坂」下車(100・206系統)、「清水道」下車(207系統)
京都バス「五条坂」下車(18系統)、「清水道」下車(83・85・87・88系統)
駐車場なし
駐車場料金-
ご利益-
地図

清水寺の見どころ

清水寺の見どころは、なんと言っても断崖に築かれた本堂です。朝の6時から拝観できますので、早起きして本堂からの京都市内の景色を一望してみてはいかがでしょうか。本堂から眺める京都市内の景色は、とても美しいです。朝の時間帯はまだ観光客も少なく、静かな雰囲気が漂います。また、周辺には音羽の滝や歴史的な建造物もあり、散策を楽しむこともできます。

一年を通して多くの参拝客が訪れますが、特に春と秋のシーズンが人気です。→清水寺の紅葉

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仁王門
仁王門
におうもん

鎌倉時代の金剛力士像(仁王像)を安置している楼門です。楼門は1469年に焼失しましたが、その後、約1500年前後に再建されました。現在は重要文化財となっています。

西門
西門
にしもん

現在の西門は1633年(寛永10年)に再建されたものです。重要文化財に指定されています。

鐘楼
鐘楼
しょうろう

平安時代に建造された鐘楼です。1607年(慶長12年)に現在の場所に再建移築され、その後、重要文化財に指定されました。

三重塔
三重塔
さんじゅうのとう

847年(承和14年)に創建された三重塔です。現在の三重塔は1632年(寛永9年)に再建され、高さは約30メートルです。この三重塔は大日如来像を祀っており、重要文化財に指定されています。

随求堂
随求堂
ずいぐどう

1735年(享保20年)に建立された随求堂は、秘仏である大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を祀る堂です。2018年(平成30年)には、222年ぶりに御開帳が行われ、多くの参拝者が訪れました。また、随求堂の堂下では、大随求菩薩の胎内を模した「胎内めぐり」が体験できます。

轟門
轟門
とどろきもん

寛永年間に再建された中門です。この中門は重要文化財に指定されています。

経堂
経堂
きょうどう

1633年(寛永10年)に創建され、2000年(平成12年)に解体修理されました。内部では釈迦三尊像が祀られており、鏡天井には岡村信基筆の墨絵で円龍が描かれています。また、毎年2月15日には涅槃会が行われます。

開山堂(田村堂)
開山堂(田村堂)
かいざんどう(たむらどう)

1633年(寛永10年)に再建された開山堂(田村堂)です。坂上田村麻呂・高子夫妻像を安置しており、左側には延鎮(えんちん)と行叡(ぎょうえい)の像を祀っています。重要文化財に指定されています。

朝倉堂
朝倉堂
あさくらどう

1633年(寛永10年)に再建されました。朝倉貞景(あさくらさだかげ)が法華三昧堂として寄進した建物であったことから朝倉堂と称されています。観音像が安置されており、洛陽三十三所観音霊場の第13番札所として知られています。また、重要文化財に指定されています。

地蔵堂
地蔵堂
じぞうどう

釈迦堂
釈迦堂
しゃかどう

1631年(寛永8年)に再建されました。重要文化財に指定されています。

阿弥陀堂
阿弥陀堂
あみだどう

1631年(寛永8年)に再建された入母屋造りの建物で、檜皮葺の建築様式が用いられています。阿弥陀如来が祀られています。また、ここは法然上人が唱導した常行念仏が日本で最初に行われた場所でもあります。法然上人二十五霊場の第13番札所であり、洛陽六阿弥陀めぐりの第3番札所でもあります。重要文化財に指定されています。

奥の院
奥の院
おくのいん

1633年(寛永10年)に再建された懸造りの舞台を持つ建物です。2017年(平成29年)に修復が行われました。この建物は音羽の瀧の真上に建っており、三面千手観音が祀られています。重要文化財に指定されています。

本堂
本堂
ほんどう

音羽山の断崖に建つ木造建築で、徳川家光の寄進により1633年(寛永10年)に再建されました。この建物は国宝に指定されています。本尊として千手観音菩薩が祀られています。33年に一度のご開帳となっています。舞台は張り出しており、高さは約13メートルです。床下は18本のケヤキの柱で支えられており、一本の釘も使用されていません。この建物は「清水の舞台から飛び降りる」ということわざの語源となりました。

音羽稲荷大明神
音羽稲荷大明神
おとわいなりだいみょうじん

阿弖流為・母禮之碑
阿弖流為・母禮之碑
あてるい・もれのひ

1994年(平成6年)に平安建都千二百年を記念して建立された蝦夷の首長阿弖流爲と母礼の慰霊碑です。802年(延暦21年)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に蝦夷を率いた阿弖流爲と母礼を降服させました。田村麻呂は2人の助命を願い出しましたが、彼らは処刑されました。

音羽の瀧
音羽の瀧
おとわのたき

延鎮が滝行を行ったと伝わる滝です。古くから「金色水」や「延命水」と呼ばれ、清めの水として敬われてきました。清水は三筋に分かれて流れ落ち、柄杓で汲んで六根清浄や所願成就を祈願します。不動明王が祀られています。

子安塔
子安塔
こやすとう

創建年代は明確ではありませんが、現在の建物は1500年に再建されました。子安観音を祀っており、聖武天皇と光明皇后の祈願所としても知られています。重要文化財に指定されています。

清水寺の歴史年表

778年
(宝亀9年)
賢心(けんしん(後に延鎮に改名))が夢告に従って北に向い、現在の清水寺の場所である音羽山で出会った行叡(ぎょうえい)から授かった霊木で観音像を彫り、祀ったのが始まり。
798年
(延暦17年)
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が延鎮とともに堂宇を建立。清水寺と名付ける。
810年
(弘仁元年)
勅許により鎮護国家の道場となり、嵯峨天皇より北観音寺の宸筆を賜る。
847年
(承和14年)
三重塔が建立される。
976年
(天延4年)
三重塔が地震により倒壊する。
999年
(長保元年)
南都(興福寺)と北嶺(延暦寺)の争いの舞台になり、比叡山の僧兵によって、たびたび堂宇を破壊される。
1063年
(康平6年)
大火により、伽藍の全てが焼失する。
1188年
(文治4年)
法然が阿弥陀堂で不断念仏を修し、日本最初常行念仏道場となる。
1469年
(文明元年)
応仁の乱で諸堂が焼失する。
1484年
(文明16年)
諸堂が復興する。
1629年
(寛永6年)
大火により、伽藍のほとんどを焼失する。
1631年
(寛永8年)
徳川家光により、西門などが再建される。
1632年
(寛永9年)
三重塔が再建される。
1633年
(寛永10年)
本堂が再建される。
1735年
(享保20年)
随求堂が建立。
1868年
(明治元年)
神仏分離令により、鎮守社の地主権現社が地主神社として独立する。
1870年
(明治3年)
上知令により、境内地が4分の1、寺領が10分の1に減らされる。
1872年
(明治5年)
法相宗所轄替えにより真言宗醍醐寺に所属する。
1885年
(明治18年)
法相宗に復帰する。
1952年
(昭和27年)
本堂が国宝に指定される。
1965年
(昭和40年)
北法相宗として独立する。
1994年
(平成6年)
ユネスコの世界遺産に登録される。
2018年
(平成30年)
随求堂に祀られている秘仏である大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)が222年ぶりに開帳された。
2022年
(令和4年)
11月、オンライン授与所が開設された。

清水寺の年間行事

1月1日~7日:修正会(しゅしょうえ) - 本堂

1月7日:清水寺牛王

2月1日~3日:修二会(しゅにえ) - 本堂

2月3日:節分会

2月15日:涅槃会 - 経堂

2月15日:中興開山良慶忌(りょうけいき) - 中興堂

3月5日:玄奘三蔵会(げんじょうさんぞうえ) - 大講堂円通殿

3月15日:青龍会-観音加持-

3月彼岸:彼岸会 - 阿弥陀堂

4月3日:青龍会-観音加持-

4月8日:降誕会(ごうたんえ) - 本堂

5月23日:開山忌 - 成就院

8月14日~16日:千日参り - 本堂

8月15日:盂蘭盆法会(うらぼんほうえ)

8月23日:地蔵盆会 - 百体地蔵堂

9月15日:青龍会-観音加持-

9月彼岸:彼岸会 - 阿弥陀堂

11月13日:慈恩会(じおんえ) - 経堂

11月16日:落葉忌(おちばき) - 成就院

12月1日~3日:仏名会(ぶつみょうえ) - 本堂

12月8日:成道会(じょうどうえ) - 釈迦堂

清水寺ゆかりの人物

・坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ) [758年-811年]
平安時代の武官で、朝廷の命を受け東北地方の蝦夷征討に従事。征夷大将軍として胆沢城(いさわじょう)を築き、蝦夷の首長であった阿弖流爲を降伏させるなどの功績を挙げた。4代の天皇に仕え、重要な役割を果たした。

清水寺の周辺情報

建仁寺(けんにんじ)まで徒歩15分

智積院(ちしゃくいん)まで徒歩19分

参考

清水寺公式ウェブサイト、古寺巡礼 京都26 清水寺、週刊 古寺を巡る6 清水寺、