三時知恩寺
さんじちおんじ

三時知恩寺は、北朝の後光厳天皇(ごこうごんてんのう)の皇女・見子内親王(けんしないしんのう)が、北朝の崇光天皇(すこうてんのう)の旧御所であった入江殿(いりえどの)を寺院に改めて創建したことに始まります。そのため、「入江御所」とも呼ばれる由緒ある尼門跡寺院です。
のちに後柏原天皇が、宮中で行われる六時勤行(ろくじごんぎょう:1日に6回の念仏読経)のうち、昼の3時の勤行をこの寺で修めるように定められたことから、寺名も「知恩寺」から「三時知恩寺」へと改められました。
以来、明治維新に至るまで、代々皇女や摂関家の息女が入寺され、なかでも五摂家筆頭の近衛家との関わりが深いことで知られています。
| 正式名称 | 三時知恩寺 |
|---|---|
| 宗派 | 浄土宗 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 所在地 | 〒602-0024 京都府京都市上京区新町通上立売下ル上立売町4-4 |
| 問い合わせ | 075-451-2211 |
| 拝観時期 | 通常非公開 |
| 見学時間の目安 | 30分 |
| 参拝順路 | 特に決められていません |
| アクセス | 市営地下鉄「今出川駅」下車 4番出口 徒歩約5分 |
| 駐車場 | なし |
| 駐車場料金 | - |
| ご利益 | - |
| 地図 | |
|---|---|
三時知恩寺の見どころ
Scroll ▶▶

表門
おもてもん
三時知恩寺の表門です。

本堂玄関
ほんどうげんかん
表門をくぐると、正面に本堂へと続く玄関があります。参拝の際は、この玄関から本堂へと進みます。

本堂
ほんどう
本堂には、本尊の阿弥陀如来像をはじめ、宋より伝来したとされる善導大師像が安置されています。建物は、もとは大徳寺にあった学問所を移築したものと伝えられています。毎年3月14日には、善導大師像の御開帳が行われます。

書院
桃園天皇(ももぞのてんのう)の女御の宮殿を移して建てられたものと伝えられています。一の間の襖(ふすま)には、「源氏物語」図の扇面(せんめん)を貼り付けた絵が施され、三の間の襖には、円山応挙(まるやま おうきょ)筆による「魞魚図(えりぎょず)」が描かれています。これは、琵琶湖の岸辺から沖へと魞(えり)を張り、漁を行う景色を描いたものです。

花鳥図屏風
かちょうずびょうぶ
狩野永徳(かのう えいとく)の代表作のひとつとされる障壁画で、渓流を背景に、梅や椿、枝垂れ桜などの花のあいだで遊ぶ山鵲(さんじゃく)の姿が描かれています。山鵲は中国では吉兆をもたらす鳥とされ、めでたい象徴として知られています。写真は「京の冬の旅」の看板のものです。

蓬莱の庭
ほうらいのにわ
本堂と書院の前に広がる枯山水庭園です。蓬莱は、中国の伝説に登場する、不老不死の仙人が住む理想郷「桃源郷(とうげんきょう)」を表しているといわれます。
三時知恩寺の歴史年表
| 1394年~1428年 (応永年間) | 北朝第4代・後光厳天皇の皇女・見子内親王(けんしないしんのう/入江内親王)が北朝第3代・崇光天皇(すこうてんのう)の旧御所・入江殿を寺院に改めて創建。寺名を知恩寺とした。 |
|---|---|
| 1500年~1526年 (後柏原天皇の頃) | 宮中の六時勤行(ろくじごんぎょう)のうち、昼の3回(晨朝(じんちょう)・日中・日没)の勤行を当寺で修めるように定めたことから、寺名も知恩寺から三時知恩寺と改めた。 |
| 1557年~1586年 (正親町天皇の頃) | 一条西洞院から現在地に移る。 |
| 1708年 (宝永5年) | 類焼する。その後、朝廷より白銀100枚賜って再建。 |
| 1764年 (明和元年) | 入江御所の称号が与えらえる。 |
| 1788年 (天明8年) | 天明の大火により再度類焼。その後、恭礼門院の旧殿を拝領して現建物を再建。 |
三時知恩寺の年間行事
3月14日:善導大師像御開帳
三時知恩寺の周辺情報
光照院(こうしょういん)まで徒歩4分
大聖寺(だいしょうじ)まで徒歩5分
宝鏡寺(ほうきょうじ)まで徒歩8分
護王神社(ごおうじんじゃ)まで徒歩17分
幸神社(さいのかみのやしろ)まで徒歩19分
参考
三時知恩寺駒札(立札)、京都大辞典、第47回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開ガイドブック、京都古社寺辞典
コメントを投稿
コメントはお気軽にどうぞ