清涼寺(嵯峨釈迦堂)

せいりょうじ(さがしゃかどう)

清涼寺(嵯峨釈迦堂)

清涼寺は、一般に「嵯峨釈迦堂」の名で親しまれている浄土宗の寺院です。その起源は平安時代にさかのぼり、光源氏のモデルともいわれる源融(みなもと の とおる)が、この地に山荘「棲霞観(せいかかん)」を構えたことに始まります。源融の没後、山荘は寺院として整えられ、「棲霞寺(せいかじ)」と改められました。

その後、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が宋から持ち帰ったと伝えられる釈迦如来立像が安置され、寺号を清涼寺と改めます。この釈迦如来像は、現在も本堂に本尊として祀られており、江戸時代には「名釈迦」の一つに数えられるほど名高い存在でした。清涼寺が「嵯峨釈迦堂」と呼ばれるのは、この由緒ある釈迦如来に由来しています。

正式名称五台山 清凉寺
山号五台山(ごだいさん)
宗派浄土宗 知恩院派
本尊釈迦如来像
所在地〒616-8447 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
問い合わせ075-861-0343
拝観時期一年中
見学時間の目安60分
参拝順路特に決められていません
アクセス京都市バス「嵯峨釈迦堂前」(28、91系統)下車すぐ
嵐電「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約11分
駐車場あり(境内東側)
駐車場料金普通車800円(1日)、バス2,000円(2時間)
ご利益
地図

清涼寺(嵯峨釈迦堂)の見どころ


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清涼寺(嵯峨釈迦堂) 山門(仁王門)
山門(仁王門)
さんもん(におうもん)

1784年(天明4年)に再建された建物で、初層には仁王像が安置され、上層には十六羅漢が祀られています。さらに、その左右には金剛力士像が配されています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 愛宕権現社
愛宕権現社
あたごごんげんしゃ

奈良時代の僧・慶俊(けいしゅん)が、鷹峯(たかがみね)に祀られていた愛宕権現を愛宕山上へと遷すにあたり、最初にこの地に安置したと伝えられています。神仏習合の時代における愛宕権現の本地仏である将軍地蔵をはじめ、竜樹(りゅうじゅ)、富婁那(ふるな)、毘沙門天の四座が祀られ、古くから火除けの神として信仰を集めてきました。また、神仏分離以前には、愛宕および野々宮の神事が当社の前で執り行われていたと伝えられています。社殿は1716年(正徳6年)に修理されています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 一切経蔵
一切経蔵
いっさいきょうぞう

仁王門の東北、阿弥陀堂の南に位置する建物です。堂内には転輪蔵(てんりんぞう)が据えられており、そこには一切の法(みのり)、経典が納められています。この法輪を一度回すことで、一切経を読んだ功徳が得られると伝えられています。

さらに詳しく

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 阿弥陀堂
阿弥陀堂
あみだどう

阿弥陀堂が建つこの地は、かつて源融が山荘「棲霞観」を営んだ場所と伝えられています。源融の没後、棲霞観は寺院へと改められ、阿弥陀三尊像を安置する「棲霞寺」となりました。その後、寺の変遷を経て、現在の阿弥陀堂として受け継がれています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 梵鐘
梵鐘
しょうろう

総高2メートルを超える大きな梵鐘が吊るされています。鐘に刻まれた銘文によれば、1484年(文明16年)に鋳造されたものです。銘文には、室町幕府8代将軍・足利義政(あしかが よしまさ)をはじめ、その正室であった日野富子(ひの とみこ)、さらに当時の征夷大将軍であった足利義尚(あしかが よしひさ)などの名が刻まれています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 多宝塔
多宝塔
たほうとう

山門をくぐって左手に位置し、多宝如来が安置されています。多宝塔は江戸で造立されたのち、廻船によって当地へと運ばれてきたと伝えられています。堂前に据えられた擬宝珠(ぎぼし)の銘文には、江戸において材木を切り出し、組み立てたことが記されており、その年号として元禄15年(1702年)が刻まれています。また、多宝塔背後に建つ宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、源融の墓と伝えられています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 釈迦堂(本堂)
釈迦堂(本堂)
しゃかどう(ほんどう)

本尊として釈迦如来像が安置されています。この像は、東大寺の僧・奝然が宋より持ち帰ったとされ、インド・宋・日本と三国を経て伝わったことから、「三国伝来の釈迦如来像」と称されています。日本三大如来の1つにも数えられ、像は国宝に指定されています。江戸時代には「名釈迦」の1つとして広く知られ、多くの人々の信仰を集めてきました。現在の本堂は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉(とくがわ つなよし)の援助を受けて造営されたものです。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 弁天堂
弁天堂
べんてんどう

本堂の背後に広がる放生池に面して建てられた弁天堂です。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 川中島
川中島
かわなかじま

弁天堂の西側に位置する場所にあります。忠霊塔として建立された十三重石塔が立っています。

大方丈
おおほうじょう

1637年(寛永14年)に焼失しましたが、現在の建物は享保年間(1716~1736年)に再建されたものです。大方丈の前には庭園が配されており、その作庭は小堀遠州によるものと伝えられています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 秀頼公の首塚
秀頼公の首塚
ひでよりこうのくびづか

大坂の陣において自害したと伝えられる豊臣秀頼の首塚です。1980年(昭和55年)、大坂城三の丸跡から秀頼のものとされる遺骨が発掘され、その後、ゆかりの地である当寺において、1983年(昭和58年)に埋葬されました。首塚の左手には「大坂の陣 諸霊供養碑」も建てられています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 薬師寺
薬師寺

清涼寺の境内にある寺院で、寺薬師寺の本堂前には「生の六道 小野篁公遺跡」と刻まれた石柱が立てられています。この一帯は、かつて「生の六道」と呼ばれた福生寺の跡地とされ、冥界と現世をつなぐ場所として語り継がれてきました。毎年8月24日の地蔵盆にあわせて公開されます。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 狂言堂
狂言堂
きょうげんどう

毎年4月に営まれる大念仏会では、嵯峨大念仏狂言保存会によって「嵯峨大念仏狂言」が奉納されます。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 奝然上人の墓
奝然上人の墓
ちょうねんしょうにんのはか

こちらは、清涼寺の開山である奝然の墓です。1985年(昭和60年)、釈尊造像千年の節目を機に、もともと飛地境内にあった墓が現在の場所へ移築されました。

清涼寺(嵯峨釈迦堂) 聖徳太子殿(夢殿)
聖徳太子殿(夢殿)
しょうとくたいしでん(ゆめどの)

奈良県にある法隆寺の夢殿を模して造られた建物で、八角円堂となっています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂)の歴史年表

895年
(寛平7年)
源融が没した後、遺族が山荘・棲霞観(せいかかん)に阿弥陀堂を建立し、棲霞寺(せいかじ)と改めた。
945年
(天慶8年)
重明親王妃が藤原氏のため棲霞寺に新堂を建立し、釈迦如来を安置する。
987年
(永延元年)
奝然が山城愛宕山に五台山清凉寺建立を請願する。
1016年
(長和5年)
3月26日、奝然が没し、奝然の遺志を継いだ弟子・盛算が棲霞寺内に五台山清凉寺を建立し、釈迦如来像を安置する。勅願寺になる。
1217年
(建保5年)
清凉寺釈迦堂、棲霞寺が焼亡。のちに明恵が再建する。
1443年
(嘉吉3年)
3月7日、はじめて大念仏狂言が行われる。
1468年
(応仁2年)
船岡山合戦から嵯峨辺が悉く炎上、仁王門、鎮守社、多宝塔、五大堂が灰燼に帰す。
1489年
(延徳元年)
仁王門再建される。

清涼寺(嵯峨釈迦堂)の年間行事


1月1日:修正会

1月8日:聖日八日会

3月15日:涅槃会及びお松明式

彼岸の中日:春季彼岸会及び永代祠堂回向

4月8日:花まつり(灌仏会)

4月第1日曜日、第2土曜、日曜日:嵯峨大念仏狂言

4月19日:お身拭式(おみぬぐいしき)

5月3日:聖徳太子大祭

5月8日:豊臣秀頼公忌

8月8日:盆施餓鬼会

彼岸の中日:秋季彼岸会及び永代祠堂回向

11月第2日曜日:盆施餓鬼会

12月6、7、8日:三千礼拝仏名会

参考

清涼寺(嵯峨釈迦堂)公式ウェブサイト、清涼寺(嵯峨釈迦堂)パンフレット、古寺巡礼 京都21清凉寺、情報提供システム「フィールドミュージアム京都」(ウェブサイト)

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