仁和寺
にんなじ
仁和寺は真言宗御室派の総本山で、宇多天皇(うだてんのう)が父・光格天皇(こうかくてんのう)の遺志を継いで創建しました。寺名は創建時の元号「仁和」に由来します。
境内には遅咲きの桜「御室桜」と呼ばれる里桜があり、桜の名所として広く知られています。また、1994年(平成6年)には世界文化遺産に登録されました。
宇多天皇が境内に僧房である「御室」を造営し、そこに移り住んだことから、仁和寺周辺が「御室」と呼ばれ、現在もその名が地名に残っています。
宇多天皇は特に花を愛し、その影響で「御室流華道」が生まれました。この華道は、宇多天皇を流祖とし、歴代の門跡が家元を継承してきた伝統的な流派です。
正式名称 | 大内山 仁和寺 |
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山号 | 大内山(おおうちさん) |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
所在地 | 〒616-8092 京都府京都市右京区御室大内33 |
問い合わせ | 075-461-1155 |
参拝時間 | 3~11月:9:00~17:00(受付終了16:30) 12~2月:9:00~16:30 |
拝観時期 | 一年中 |
参拝料金 | 御所庭園:大人800円、高校生以下無料 霊宝館(期間限定):大人500円、高校生以下無料 御室花まつり 特別入山料:大人500円、高校生以下無料 |
見学時間の目安 | 約90分 |
参拝順路 | 特に定められてはいません。 |
アクセス | 嵐電「御室仁和寺駅」下車 徒歩3分 市バス「御室仁和寺」(10・26・59系統)下車すぐ JRバス「御室仁和寺」下車すぐ |
駐車場 | 普通車100台、バス・大型車12台 仁和寺東側 9:00~17:00(受付終了16:30) 花まつり期間は8:30開場17:30閉場(16:30入場終了) |
駐車場料金 | 普通車(9人乗りまで)500円、バス・大型車(10人乗り以上)2000円 |
ご利益 | 水掛不動尊:ひとつだけ叶える(一願不動)、花の菩薩:花芸上達 |
地図 | |
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仁和寺の見どころ
仁和寺の見どころは、やはり御室桜です。京都の中でも特に遅咲きの桜として有名で、境内には約200本が植えられています。御室桜と五重塔の風景は、仁和寺を象徴する美しい景観を形成しています。また、京都三大門に数えられる仁王門や、宸殿庭園も見逃せないスポットです。
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仁王門
におうもん
柱間5間のうち中央の3間を戸口とし、左右の各1間には仁王像(金剛力士像)が安置されています。仁王像が安置されていることから「仁王門」と呼ばれ、また「山門」や「南大門」とも呼ばれています。知恩院の三門、南禅寺の山門とともに「京都三大門」に数えられます。1637年(寛永14年)から1644年(正保3年)にかけて建立され、重要文化財に指定されています。
中門
ちゅうもん
柱間3間の八脚門です。
御室桜
おむろざくら
「わたしゃお多福御室の桜 鼻が低ても人が好く」の俗謡にあるように、丈が低く、約3メートルほどしかありません。中門を入った西側一帯に約200本が植えられ、遅咲きの桜として有名です。御室桜は品種名ではなく、この地で育てられた桜を指し、江戸時代初期に植えられたと伝わります。樹高が低いのは、植えられた土壌の性質が影響していると言われています。
五重塔
ごじゅうのとう
五重塔です。総高36.18メートルで、上層から下層にかけて各層の幅に大きな差がないのが特徴です。内部には大日如来が安置されており、古くから「御室の塔」として親しまれています。1637年(寛永14年)に建立されました。
金堂
こんどう
格子状の蔀(しとみ)を備え、壁面には極彩色で描かれた「浄土図」が施された堂内には、阿弥陀三尊が本尊として祀られています。本尊の右脇侍には観音菩薩立像、左脇侍には勢至菩薩立像(せいしぼさつぞう)が安置されており、この勢至菩薩像は「京都十三仏めぐり」の第九番霊場の本尊として広く知られています。また、この建物は京都御所の紫宸殿の遺構とされ、1642年(寛永19年)から21年かけて移築されました。現在、国宝に指定されています。
観音堂
かんのんどう
中央に千手観音菩薩像、その両脇に不動明王像と降三世明王像が安置され、さらに周囲には二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)の像が28体並んでいます。この堂は928年(延長6年)に建立されましたが、現在の建物は寛永年間(1624~1644年)に復興されたものです。
御影堂
みえどう
真言宗の祖師である弘法大師空海、開山の宇多天皇、第二世の性信親王(しょうしんしんのう)を祀っています。1211年(建暦元年)に創建され、現在の建物は寛永年間(1624~1644年)に再建されたものです。京都御所の清涼殿の材を再利用して建築されています。
経蔵
きょうぞう
緑色の花頭窓が特徴的な、経典を納めるための蔵です。内部には回転式の八角輪蔵(はっかくりんぞう)が設けられており、その中には768個の経箱(きょうばこ)が収納されています。これらの経箱には、僧・天海が刊行した木活字版「天海版一切経」が納められています。この蔵は1641年(寛永18年)に再建されました。
九所明神本殿
くしょみょうじんほんでん
木野嶋天神、小日吉大明神、平野大明神、松尾大明神、八幡三所、賀茂下上、日吉大明神、牛頭天王、稲荷大明神の九神を祀っていることから、この名で呼ばれます。仁和寺の伽藍の鎮守として、初代別当の幽仙によって勧請されました。
白書院
しろしょいん
内部には、松を主題にした福永晴帆(ふくなが せいはん)の絵が描かれています。
宸殿
しんでん
御殿の中で最も重要な建物であり、京都御所の常御殿の材を使って建立されましたが、1887年(明治20年)の火災で焼失しました。現在の宸殿は、1914年(大正3年)4月に亀岡末吉の設計により再建されたものです。書院造で、西から東に向けて上段の間、中段の間、下段の間の三室で構成されています。内部の絵画は、ほとんどが原在泉(はら ざいせん)によって描かれています。
宸殿庭園
しんでんていえん
五重塔を借景とした池泉回遊式庭園で、茶室の飛濤亭と遼廓亭が配置されています。庭園は宸殿北庭と宸殿南庭に分かれています。1887年(明治20年)の大火で荒れた状態だった庭園は、小川治兵衛の設計により再整備されました。
霊明殿
れいめいでん
本尊には薬師如来坐像を祀り、歴代門跡の位牌も安置されています。薬師如来坐像は長い間秘仏とされてきましたが、1986年(昭和61年)に初めて公開されました。建物は亀岡末吉の設計によるものです。
黒書院
くろしょいん
宸殿の西に位置し、旧安井門跡蓮華光院の寝殿を移築して改造したものです。門跡の公式対面所として利用されていました。堂本印象の襖絵が飾られています。
勅使門
ちょくしもん
本坊の正式な門で、四脚門の形式を持ちます。1913年(大正2年)に完成し、設計は亀岡末吉によるものです。
遼廓亭
りょうかくてい
尾形光琳が好んだ茶室であるとも言われ、仁和寺門前竪町にあったものを移築したとも伝えられています。重要文化財に指定されています。
飛濤亭
ひとうてい
光格天皇が遺愛した茶室で、通常は非公開となっています。重要文化財に指定されています。
水掛不動尊
みずかけふどうそん
岩石の上に石造の不動尊が安置されています。この岩石は、宇多天皇をひたすら待っていた菅原道真が腰掛けたという逸話があり、「菅公腰掛石(かんこうこしかけいし)」と呼ばれています。以前、洪水によって堀川の一条戻橋まで流されてしまったものの、不動明王が「仁和寺に帰りたい」というお告げを聞いた人によって無事に仁和寺に戻ることができました。この伝承から、長い柄杓で不動尊と岩石に水を掛けながら祈願すると、一願だけ叶うとされ、一願不動の信仰が生まれました。近畿三十六不動尊霊場の第14番霊場です。
御室八十八ヵ所霊場
おむろはちじゅうはっかしょれいじょう
仁和寺境内の北側には成就山(じょうじゅさん)があり、空海ゆかりの四国八十八ヵ所の霊場を縮小した「御室(成就山)八十八ヵ所霊場」が設けられています。全行程は約3キロメートルで、2時間ほどで巡ることができます。
仁和寺の歴史年表
886年 (仁和2年) | 光孝天皇(こうこうてんのう)が大内山南麓に寺の建立を発願し、造営を始める。 |
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887年 (仁和3年) | 光孝天皇が崩御。 |
888年 (仁和4年) | 宇多天皇(うだてんのう)が父の光孝天皇の遺志を継いで西山御願寺(のち仁和寺)を創建する。 |
904年 (延喜4年) | 3月、宇多法皇が境内に御室を造営し、移り住む。 |
931年 (承平元年) | 7月、宇多法皇が仁和寺で崩御する。 |
952年 (天暦6年) | 4月、朱雀法皇が仁和寺に移る。 |
1119年 (元永2年) | 4月、金堂などが焼亡。12月に金堂が再建される。 |
1468年 (応仁2年) | 9月、応仁の乱で東軍の兵が仁和寺を焼く。 |
1641年 (寛永18年) | 経蔵が再建される。 |
1644年 (寛永21年) | 五重塔がこの頃完成する。 |
1646年 (正保3年) | 10月、伽藍が再建される。この頃、野々村仁清が仁和寺門前に開窯。 |
1827年 (文政10年) | 第29年済仁法親王が御室八十八ヵ所霊場を開く。 |
1867年 (慶応3年) | 第30世門跡の純仁法親王(のち嘉彰親王(よしあきしんのう))が還俗。皇室が門跡となる歴史が終わる。 |
1868年 (慶応4年) | 嘉彰親王(のち小松宮彰仁親王)が鳥羽伏見の戦いに際して、新政府軍の征討大将軍に任じられ、出陣する。 |
1887年 (明治20年) | 5月、宸殿と勅使門が大火で焼亡。 |
1909年 (明治42年) | 黒書院が完成する。 |
1914年 (大正3年) | 4月、亀岡末吉の設計で宸殿が再建される。 |
1986年 (昭和61年) | 霊明殿に安置されている薬師如来坐像が初めて公開される。 |
1994年 (平成6年) | 12月、ユネスコの世界文化遺産に登録される。 |
2019年 (令和元年) | 令和阿弥陀堂が完成する。 |
仁和寺の年間行事
1月1日:修正会 - 金堂
1月6日:御室流華道生初式 - 宸殿
1月7日:初祈祷会 - 御影堂
1月21日:献米供(護符授与式) - 御影堂
2月節分:節分会 - 金堂
2月15日:常楽会(じょうらくえ) - 金堂
3月3日:土砂加持(どしゃかじ) - 金堂
3月彼岸:彼岸会 - 金堂
3月21日:正御影供 - 御影堂
4月8日:仏生会 - 金堂
桜開花期:桜まつり - 山内
5月中旬:御室流華道全国挿花大会 - 御殿
5月中:鎮守大般若会 - 拝殿
5月中:鎮守大般若会 - 拝殿
6月15日:宗祖弘法大師誕生会 - 御影堂
9月8日:開山忌 - 御影堂
9月彼岸:彼岸会 - 金堂
10月~11月:秋の華会~時をいける - 御殿
12月1日:伝法灌頂(でんぽうかんじょう) - 観音堂
仁和寺ゆかりの人物
・宇多天皇(うだてんのう) [867年-931年]
一度臣籍降下して「源定省(みなもとのさだみ)」と称したが、皇族に復帰して即位し、臣籍から天皇となった初の例となった。宇多天皇は藤原氏の政治介入を嫌い、藤原基経に関白の位を与えず、阿衡(あこう)という中国の官位を授けた。しかし、基経はこれに不満を抱き、職務を放棄したため、政務が滞る事態が生じた。やむを得ず、宇多天皇は基経を関白に任命した(阿衡事件/阿衡の紛議)。基経の死後、摂政・関白を置かずに天皇親政(寛平の治)を実施する。さらに、894年(寛平6年)には蔵人頭の菅原道真の進言により遣唐使を廃止し、宮中の警備強化のため「滝口の武士」を設置した。
・菅原道真(すがわらのみちざね) [845年-903年]
宇多天皇の「寛平の治」を支え、醍醐天皇の時には右大臣に任じられた。遣唐使の廃止を提案したことでも知られる。しかし、901年(昌泰4年)には、藤原時平の讒言(ざんげん)により謀反の疑いをかけられ、大宰府に左遷されて失脚(昌泰の変)。大宰府で非業の死を遂げた道真は、怨霊として恐れられ、北野社に天神(雷神)として祀られた。その後、学問の神としても広く信仰を集めるようになる。道真は梅を愛したことで知られ、梅の木の下で詠んだ詩が伝わっている。
参考
仁和寺公式ウェブサイト、旧御室御所 仁和寺、古寺巡礼 京都22 仁和寺、週刊 古寺を巡る43 仁和寺、京都大辞典、第43回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開ガイドブック、別冊旅の手帖 京の冬の旅(平成16年12月30日発行)