高山寺の「石水院」「五所堂」
こうさんじのせきすいいん ごしょどう
石水院は、高山寺で唯一現存する鎌倉時代の建物で、国宝に指定されています。白光神、善妙神、春日神、若宮神の五神を祀ることから「五所堂」とも呼ばれます。もとは後鳥羽上皇の学習所として使用されていましたが、後に下賜され、明恵の住居となりました。
鎌倉時代の寝殿造風の遺構で、かつては金堂の東に位置する東経蔵でした。建築は桁行(正面3間、背面4間)、梁間3間で、正面には1間通りの庇(ひさし)が設けられています。構造は一重の入母屋造(妻入)で、向拝(ごはい)が付いた葺屋根の建物です。
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廂の間
ひさしのま
石水院の西正面に位置しています。かつては春日・住吉明神の拝殿であった場所です。板間には、善財童子(ぜんざいどうじ)像が安置されています。軒周りは蟇股(かえるまた)で美しく装飾されており、欄干には富岡鉄斎による「石水院」の額が掛けられています。
善財童子像
ぜんざいどうじぞう
善財童子は、華厳経入法界品に登場する菩薩です。悟りを求めて、53人の賢者を訪ね歩き、最終的に普賢菩薩と出会い、浄土への往生を願ったとされています。仏教修行における成長の過程を象徴していると考えられています。
南縁
なんえん
南縁には、かつて向拝が設けられていました。南面の欄間には、後鳥羽上皇の勅額と伝わる「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」が掛けられています。「日出先照高山之寺」という表現は、華厳経の比喩に由来しており、高山寺の名称の由来ともなっています。
主室
しゅしつ
天井は、両流れの船底天井で、屋根の野地板を裏返して転用しています。
石水院の歴史年表
1228年 (安貞2年) | 洪水で、東経蔵の谷向いにあった石水院が失われる。 |
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1235年 (嘉禎元年) | 白光神、善妙神、春日神を祀る。 |
1238年 (嘉禎4年) | 住吉神を勧請し、鎮守社四社を祀り、石水院が拝殿となる。 |
1637年 (寛永14年) | 御影開帳に際して改造する。 |
1889年 (明治22年) | 石水院が旧三尊院跡の現在地へ移築され、住宅様式に改変された。 |
参考
高山寺公式ウェブサイト、京都古社寺辞典、古寺巡礼 京都32 高山寺、京都大知典、コトバンク