京都の観光旅行ガイド
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平野神社 桜花祭

ひらのじんじゃ おうかさい

桜花祭は、平野神社の祭りで、毎年4月10日に開催されています。この祭りは、花山天皇が平野神社へ行幸した際に桜を手植えしたことに由来し、臨時祭として始まりました。

午前中には本殿祭が行われ、午後からは神幸祭が行われます。神幸祭では、鳳輦や花山車に加え、曲水の遊列などの時代風俗行列が氏子町内を練り歩きます。時代風俗行列は午後1時頃に平野神社を出発し、千本や上七軒を経由して氏子町を巡回し、16時頃に平野神社に戻ります。

行列の先頭には赤鬼と青鬼が露払いとして進み、その後に真榊、花山天皇敬仰花山車、稚児列、織姫列、鏑馬列、鳳輦、参議西洞院時慶卿列、染色列、東遊列、曲水の遊列、源満仲社参列、山陽花見列が続きます。

正式名称桜花祭
日時4月10日 本殿祭10:00 神幸祭 13:00
場所〒603-8322 京都府京都市北区平野宮本町1
拝観無料
問い合わせ075-461-4450
地図

桜花祭の見どころ

桜花祭の見どころは、なんといっても雅な時代風俗列です。

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本殿祭
ほんでんさい

本殿祭は、午前10時から始まり、お祓いや祝詞奏上などが行われた後、本殿に祀られている祭神の御霊を鳳輦(ほうれん)に移します。

花山天皇陵
かざんてんのうりょう

11時頃に花山天皇陵へ移動して参拝します。

発輦祭
はつれんさい

神幸祭に先立ち、発輦祭が行われ、出発が告げられます。また、町内を安全に巡行できるよう祈願します。

赤鬼と青鬼
あかおにとあおおに

赤鬼と青鬼は神幸祭の先頭を進み、道中の邪気を祓いながら露払いを務めます。

真榊
まさかき

榊の山車です。

花山天皇敬仰花山車
かざんてんのうけいぎょうはなだし

桜の花山車です。

稚児列
ちご

保護者に手を引かれながら進み、手に桜の枝を持っています。

織姫列
おりひめれつ

織姫列は、双髻(そうけい)や高髻(こうけい)の髪型に結い、天平衣装をまとって、手に糸巻きを持っています。

鏑馬列
やぶさめれつ

鏑馬列は、綾藺笠(あやいがさ)、射籠手(いごて)、行縢(むかばき)を身に着け、手には弓を持っています。その後ろには的を持つ童子が続きます。

鳳輦
ほうれん

祭神の御霊が乗っています。

参議西洞院時慶卿列
さんぎにしのとういんときよしきょうれつ

公家の西洞院時慶の列です。車で移動します。

染色列
せんしょくれつ

染色列は、髪型を元禄島田(げんろくしまだ)に結い、手に桜の枝を持って進みます。

東遊列
あずまあそびれつ

舞人は、巻纓(けんえい)の冠、緌(おいかけ)、青摺の小忌衣(あおずりのうちごろも)を身にまとい、手には笏(しゃく)を持っています。

曲水の遊列
きょくすいのあそびれつ

女性たちは市女傘(いちめがさ)に枲垂衣(むしのたれぎぬ)、壺装束を身にまとっています。また、懸帯(かけおび)や懸守(かけまもり)をつけ、手には短冊と筆を持っています。

源満仲社参列
みなもとのみつなかしゃさんれつ

源満仲社参列についてです。源満仲は平野神社に社参し、祭神が兵庫県の多太神社(たぶとじんじゃ)に勧請されたといわれています。彼は多田源氏の祖でもあります。また、花山天皇が出家する際、内裏から元慶寺まで天皇を連れ出した際、藤原道兼(ふじわらの みちかね)の命で警護をしたとされています。

山陽花見列
さんようはなみれつ

頼山陽(らいさんよう)の花見列で、彼は母と共に平野神社で花見をしたと伝えられています。巡行では、駕籠の母と侍女2人を伴っています。頼山陽は幕末の文人で、「日本外史」を著しました。日本外史は、勤皇思想に影響を与えたとされています。

桜花祭の歴史年表

985年
(寛和元年)
4月10日、花山天皇が行幸し、花山天皇が桜を手植えする。その際、臨時際が行われた。これ以降、4月10日に桜花祭を行うようになる。

参考

平野神社公式ウェブサイト、週刊 日本の神社 第61号、京都大辞典