京都の観光旅行ガイド
e-kyoto.jp

如願寺

にょがんじ

如願寺は、京都府宮津市にある高野山真言宗の寺院で、平安時代の1024年(万寿元年)に比叡山延暦寺の僧・皇慶(こうけい)が行基(ぎょうき)作と伝わる薬師如来を安置したのが始まりといわれています。旧宮津城下町では最も古い創建を誇ります。丹後与謝三十三所霊場の第16番札所でもあります。

また、隣接する山王宮日吉神社と如願寺は「如願寺・日吉神社文化財環境保全地区」として京都府文化財環境保護地区に指定されています。

戦国時代には兵火により30以上あった堂宇が焼失しましたが、細川忠興(ほそかわ ただおき)の手によって再興が始まり、江戸時代には永井氏がその復興を受け継ぎました。以降、代々の宮津藩主による篤い崇敬を受け、祈願所として重んじられるようになりました。

30余の堂宇のうち、確認されているものには、成智院、宝生院、宝寿院、龍性院、成性院、吉祥院の6つがあります。

かつては如願寺川を挟んで塔頭が立ち並んでいましたが、現在は北側にのみ残っています。

正式名称巌松山 如願寺
山号巌松山(がんしょうざん)
宗派高野山真言宗
本尊薬師如来(耳薬師)
所在地〒626-0005 京都府宮津市宮町73
問い合わせ0772-22-3309
拝観時期一年中
参拝料金無料
見学時間の目安10分
参拝順路特に決められていません
アクセス京都丹後鉄道「宮津駅」下車徒歩19分
駐車場仁王門前 約20台
駐車場料金無料
ご利益乳地蔵:安産
地図

如願寺の見どころ

Scroll >>

仁王門
におうもん

1690年(元禄3年)に再建されたもので、三間一戸八脚門の形式で、桟瓦葺となっています。京都府指定文化財です。もともとは宮津線の踏切付近にありましたが、境内の縮小に伴い現在の場所へ移築されました。

乳地蔵
ちちじぞう

仁王門の前に安置されている地蔵尊です。甘酒が供えられ、安産や母乳の出にご利益があるとされています。

本堂(薬師堂)
ほんどう(やくしどう)

1672年(寛文12年)に永井尚長(ながい なおなが)によって再建された建物です。丹後地域で活躍した富田大工による初期の作とされ、桁行三間、梁行三間、一重、宝形造、向拝一間、銅板葺の構造を持っています。府指定文化財です。軒下には虎と龍の彫刻が施されています。扉には太陽と月の意匠があり、これは本尊である薬師如来の脇侍、日光菩薩と月光菩薩を象徴しています。薬師如来像は秘仏で、甲子の年にのみご開帳されます。

皇慶像
こうけいぞう

如願寺を開山した皇慶の像です。

火松地蔵

落雷で倒れた松の根元に巻きついていた地蔵尊を安置したものです。

鐘楼
しょうろう

鐘は1652年(慶安5年)に鋳造されたものです。

芭蕉堂
ばしょうどう

1900年(明治33年)に芭蕉の木像と真筆が収められました。収められている句は「髪に挿す榊もすずし神輿かき」です。

如願寺の歴史年表

1024年
(万寿元年)
皇慶が一宇を建て、薬師如来を安置したことに始まる。
1467~1568年
(戦国時代)
兵火により30余あった坊舎が焼失。
1672年
(寛文12年)
本堂が再建される。
1686年
(貞享3年)
火災によって仁王門が焼失。その際、運慶作の仁王像も失われた。
1690年
(元禄3年)
仁王門が再建される。
1900年
(明治33年)
芭蕉堂に芭蕉の木像と真筆が収められた。
1952年
(昭和27年)
宮津線の踏切付近にあった仁王門を現在地に移築した。

参考

如願寺駒札(立札)、宮津市ホームページ、宮津観光アテンダント ウェブサイト、京都大辞典 府域編、京都の社寺(淡交社)