京都の観光旅行ガイド
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弘源寺

こうげんじ

弘源寺は、天龍寺の境内にある塔頭寺院で、通常は非公開ですが、春と秋の特定期間に特別公開されます。本堂にある「虎嘯の庭(こしょうのにわ)」は、嵐山を借景にした枯山水庭園で、「龍吟雲起、虎嘯風生」という禅語に基づき、禅の思想を反映した美しい庭園です。写真は弘源寺の看板に掲載されているものです。

1429年(永享元年)、室町幕府の管領であった細川持之(ほそかわ もちゆき)によって創建され、開山には玉岫英種(ぎょくしゅうえいしゅ)が迎えられました。寺名は、細川持之の院号である「弘源院」に由来しています。当初、弘源寺は小倉山の麓に位置し、広大な寺領を持っていましたが、度重なる火災により、末庵の維北軒と合寺し、天龍寺境内に移転しました。

また、弘源寺の墓地には、江戸時代を代表する俳諧師・向井去来の墓があり、歴史的価値も高い寺院です。

正式名称弘源寺
山号-
宗派臨済宗天龍寺派
本尊観世音菩薩
所在地〒616-8385 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町65 天龍寺境内
問い合わせ075-881-1232
拝観時期春夏に特別拝観される
見学時間の目安20分
参拝順路特に決められていません
アクセス嵐電「嵐山駅」下車徒歩3分、阪急「嵐山駅」下車徒歩10分、JR「嵯峨嵐山駅」下車徒歩10分、京都市バス「嵐山天龍寺前」(11、28、85、93系統)下車徒歩5分、京都バス「嵐山天龍寺前」(62、72、92、94系統)下車徒歩5分
駐車場あり(天龍寺駐車場100台)
駐車場料金乗用車1回1,000円
ご利益-
地図

弘源寺の見どころ

弘源寺の見どころは、まず「虎嘯の庭」です。嵐山を借景にした枯山水庭園で、禅の思想が反映された美しい空間です。本堂では、日本画家・竹内栖鳳が描いた襖絵や、その一門による絵画が鑑賞でき、その芸術性は一見の価値があります。また、幕末の刀傷も重要な見どころです。これは禁門の変の際、天龍寺境内に陣を敷いた長州藩士たちが試し斬りを行った痕跡であり、幕末の動乱を今に伝える貴重な歴史遺産となっています。

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山門
さんもん

庫裏
くり

毘沙門堂
びしゃもんどう

毘沙門天像が祀られている堂宇です。この像は元々、比叡山の無動寺に安置されていたものと伝えられています。弘法大師空海が直筆したとされる扁額が掲げらています。また、天井には日本画家・初代藤原孚石(ふじわら ふせき)による四季折々の草花を描いた48面の絵画が施されています。

本堂
ほんどう

本尊として観世音菩薩を祀るほか、玉岫禅師の木像や、創建者である細川右京太夫持之の位牌も安置されています。また、堂内には近代日本画の巨匠、竹内栖鳳(たけうち せいほう)による襖絵があります。

虎嘯の庭
こしょうのにわ

虎嘯の庭(こしょうのにわ)は、嵐山を借景とした枯山水庭園です。その名は、「龍吟雲起 虎嘯風生(りゅうぎんうんき こしょうふうせい)」という禅の言葉に由来します。これは「龍が吠えると雲が湧き、虎が吠えると風が起こる」という意味で、禅の悟りや深い境地を象徴しています。庭園のデザインはその禅の思想を反映し、静謐かつ壮大な景観を楽しむことができます。写真は弘源寺の看板に掲載されているものです。

幕末の刀傷
ばくまつのかたなきず

1864年(元治元年)の禁門の変の際に長州藩士たちが天龍寺境内に陣を構えた際に残されたものです。この戦いで、長州藩士約1500人が天龍寺を拠点とし、その中で藩士が刀の試し斬りを行った際の跡と伝えられています。この刀傷は、幕末の動乱を物語る貴重な歴史的遺物として注目されています。

弘源寺の歴史年表

1446年
(文安3年)
細川持之(ほそかわ もちゆき)が創建。
1883年
(明治16年)
維北軒(いほくけん)を合併。落柿舎の地から天龍寺境内に移った。

参考

弘源寺公式ウェブサイト、京都の禅寺散歩